音楽に生きた女王の心
音楽とともに育った王女
ハワイ王国最後の君主、リリウオカラニ女王(Liliʻuokalani)。政治の激動を生きた女王として知られていますが、彼女にはもう一つの大切な顔がありました。それは、生涯にわたって音楽を愛し続けた作曲家としての姿です。
リリウオカラニは幼い頃、王族の子どもたちが学ぶ王立学校で教育を受けました。そこで西洋音楽の基礎を学び、ピアノなどの楽器に親しみながら、楽譜を見て歌う力も身につけていきます。
一方、彼女の身近には、幼い頃から聞いてきたハワイのオリ(詠唱)やメレ(歌や詩)がありました。西洋から伝わった音楽と、祖先から受け継がれてきたハワイの言葉と旋律。この二つが彼女の中で自然に結びつき、後に数多くの美しい曲を生み出していったのです。
リリウオカラニが残したメレは、150曲を超えるともいわれています。恋する人を思う歌、ハワイの美しい土地をたたえる歌、家族を悼む歌、そして国と人々を思う歌。その一曲一曲には、女王がその時に見た風景や、胸に抱いていた思いが静かに刻まれています。
女王にとって作曲は、ただ美しい旋律を作ることではありませんでした。言葉にしきれない悲しみや祈り、国を思う気持ちを託す、もう一つの声だったのでしょう。
自伝『Hawaii’s Story by Hawaii’s Queen』の中で、女王は「民衆の声は神の声である」と古くから言われてきたことに触れ、民衆の声に耳を傾けることの大切さを説いています。
政治家であり、詩人であり、音楽家でもあったリリウオカラニ。その姿勢は、王座を失った後も変わりませんでした。彼女は音楽の中に自分の心を残し、時代を越えてハワイの人々へ語り続けているのです。
出典:Liliʻuokalani, Hawaii’s Story by Hawaii’s Queen(1898)/Hawaiʻi State Archives, Music from Queen Liliʻuokalani Collections
「アロハ・オエ」誕生の物語
一つの別れを歌に変えた王女
リリウオカラニ女王の名を世界に広めた曲といえば、「アロハ・オエ(Aloha ʻOe)」です。けれども、この曲が生まれた1878年、彼女はまだ女王ではなく、王位継承者となる前のリディア王女でした。
ハワイ州公文書館に残る女王直筆の楽譜には、「1878年、マウナヴィリで作曲」と記されています。マウナヴィリは、オアフ島のコオラウ山脈の麓に広がる、緑豊かな土地です。
広く伝えられている話では、王女はマウナヴィリを訪れた帰りに、同行していたジェームズ・ボイド大佐と一人の女性が、名残を惜しんで別れの抱擁を交わす姿を目にしました。帰りの馬上で、その光景を思い返すうちに、旋律と言葉が浮かんできたと伝えられています。ただし、抱擁を交わした女性が誰だったのかなど、細かな部分には複数の説があります。
確かなのは、王女が何げない別れの場面から、人を思う心を感じ取り、一つの歌へと結晶させたことです。「Aloha ʻOe」という言葉は、単なる「さようなら」だけではありません。「あなたにアロハを」という、愛情や親しみを込めた別れの言葉でもあります。
歌の中では、
Aloha ʻoe, aloha ʻoe
Until we meet again..
と、別れを惜しみながらも、再び会える日への願いが歌われています。
この曲が作られたのは、アメリカの併合によりハワイ王国が失われる15年ほど前のことでした。もともとは愛する人との別れを描いた歌ですが、その後、王国の転覆や女王の幽閉を経験したハワイの人々にとって、故郷や失われた主権への思いを重ねる歌にもなっていきます。
けれども、最初から王国の滅亡を歌った曲だったわけではありません。一つの別れから生まれた歌が、時代を経る中で、より大きな別れや喪失を象徴するようになったのです。
誰かが別れを惜しむ一瞬を見逃さず、その胸の内を自分の旋律に変えたリリウオカラニ。そこには、人の心の動きを細やかに感じ取る、彼女の音楽家としてのまなざしが表れています。
だからこそ「アロハ・オエ」は、作曲から一世紀以上が過ぎた今も、恋人、家族、故郷など、大切なものとの別れを経験した人の心に静かに寄り添い続けているのでしょう。
出典:Hawaiʻi State Archives, Mea Liliʻuokalani Exhibition/Music from Queen Liliʻuokalani Manuscript Collections/Library of Congress, Hawaiian Song

女王が遺した他のメレたち
祈りを手放さなかったリリウオカラニ
リリウオカラニ女王は、生涯を通して信仰を大切にした、敬虔なクリスチャンでもありました。
幼い頃に通った王族の子どもたちのための学校では、アメリカ人宣教師夫妻から聖書や讃美歌、西洋音楽を学びました。大人になってからは、ハワイ王家と縁の深いカワイアハオ教会で聖歌隊を指揮しました。また、カメハメハ4世とエマ王妃がホノルルに創設した、英国国教会系のセント・アンドリュース大聖堂にも親しんでいます。
音楽の才能は、王宮で披露するためだけのものではありませんでした。女王にとって歌うこと、曲を作ること、祈ることは、深く結びついていたのでしょう。
しかし、1893年に王政が倒されたとき、その中心にいた人々の中には、かつてハワイへ渡った宣教師の子孫もいました。信仰を教えた人々の流れと、王国を奪った人々の流れが重なっている――。それは女王にとって、簡単には言葉にできない痛みだったと考えられます。それでも、リリウオカラニは神への信仰そのものを手放しませんでした。
1895年、イオラニ宮殿に幽閉された最初の夜。女王は鞄の中に小さな祈祷書があるのを見つけ、詩篇31篇を開いたと自伝に記しています。自由を奪われた長い夜に、祈りの言葉が彼女を支えました。幽閉中に作られた「Ke Aloha o ka Haku(主の慈しみ)」にも、女王の信仰が表れています。
姪のカイウラニ王女に捧げられたこの歌で、女王が願ったのは報復ではありませんでした。罪を犯した人が赦され、清められ、平安を与えられるよう神に祈ったのです。国を失い、自らも閉じ込められていた女王が残したのが、憎しみの歌ではなく赦しを願う歌だったことに、彼女の強さが表れています。
一方で、キリスト教信仰を持つことは、ハワイの文化を手放すことではありませんでした。女王は幽閉中、ハワイ王家に伝わる創世のチャント『クムリポ』の英訳にも取り組み始めます。その仕事は幽閉後も続き、1897年にワシントンD.C.で出版されました。
神に祈りながら、祖先から受け継いだハワイの言葉と歴史も守る。リリウオカラニにとって、この二つは矛盾するものではなく、どちらも自分が大切に受け継ぐべきものだったのでしょう。
こうした信仰を知ると、女王のメレに込められた赦しや平安への願いも、これまでとは少し違って聞こえてきます。次は、その旋律が現代のフラの中で、どのように受け継がれているのかを見ていきましょう。
出典:Liliʻuokalani, Hawaii’s Story by Hawaii’s Queen(1898)/ Hawaiʻi State Archives ʻIolani Palace/ Liliʻuokalani, The Kumulipo: An Hawaiian Creation Myth(1897)
三つの歌に映る女王の姿
「アロハ・オエ」があまりにも有名なため、リリウオカラニ女王は一曲だけの作曲家と思われることがあります。
けれども、彼女が遺した数多くのメレをたどると、国を思う王族としての責任感、人から受けた親切を忘れない心、苦しみの中でも赦しを求めた信仰など、さまざまな人柄が見えてきます。
国を思う若き日の歌
He Mele Lāhui Hawaiʻi
(ハワイ国民の歌)
1866年、まだリディア王女と呼ばれていた28歳の頃、彼女は「He Mele Lāhui Hawaiʻi」を作曲しました。この曲は、のちに「Hawaiʻi Ponoʻī」が国歌となるまで、ハワイ王国の国歌として歌われました。
若い王女が国の歌を任されたことからも、彼女の音楽的な才能が、王族や周囲の人々から早くから認められていたことが分かります。
華やかな王宮で楽しむためだけではなく、国の人々がともに歌える曲を作る――。リリウオカラニにとって音楽は、若い頃からハワイへの思いを形にする方法でもあったのです。
閉ざされた部屋に届いた花
Kuʻu Pua i Paoakalani
(私のパオアカラニの花)
1895年、リリウオカラニはイオラニ宮殿の一室に幽閉されました。外出はできず、会える人も厳しく制限されていました。そんな女王のもとへ、ジョン・ウィルソンという若者が、女王ゆかりの土地に咲く花を届けたと伝えられています。
曲名にあるパオアカラニは、女王が所有していたワイキキの邸宅の名です。女王は、届けられた花を通して懐かしい庭を思い出すとともに、自分を気遣ってくれる人の存在に励まされたのでしょう。
この歌に登場する「花」には、目の前の花だけでなく、外の世界と自分を結んでくれた人への感謝も重ねられていると解釈されています。自由を奪われた部屋の中でも、小さな親切を受け取り、それを一曲のメレとして残したリリウオカラニ。人から受けた思いやりを忘れない彼女の一面が伝わってきます。
赦しを願った女王の祈り
Ke Aloha o ka Haku
(主の慈しみ/通称「Queen’s Prayer」)
同じ幽閉期間中の1895年3月22日、女王は「Ke Aloha o ka Haku」を作曲し、姪のカイウラニ王女に捧げました。自らの王国を奪われ、宮殿の一室に閉じ込められていた時期です。それにもかかわらず、歌詞に記されたのは、報復を求める言葉ではありませんでした。
女王は神に向かって、人の罪を赦し、清め、平安のうちに守ってくださるよう願っています。苦しみをなかったことにはできなくても、憎しみだけを後世に残そうとはしなかった――。その祈りからは、政治家としての強さとはまた異なる、リリウオカラニの深い信仰が見えてきます。
国のために書いた歌、親切への感謝を込めた歌、赦しを願った祈り。女王のメレは、美しい旋律を楽しむだけのものではありません。一曲ずつ耳を傾けることで、歴史の中の「最後の女王」だけでは見えてこない、一人の女性としてのリリウオカラニに出会うことができるのです。
出典:Hawaiʻi State Archives「Music from Queen Liliʻuokalani Manuscript Collections」/ʻIolani Palace資料/C. L. Morris, Queen Liliʻuokalani’s Prison Compositions

現代フラに息づく女王の旋律
歌を、からだで読み解く
リリウオカラニ女王が残したメレは、今も歌や演奏、そしてフラを通して受け継がれています。
ただし、150曲を超えるとされる作品のすべてが、フラとして踊られているわけではありません。「Ke Aloha o ka Haku」のように、主に讃美歌や祈りの歌として歌い継がれてきた曲もあります。一方、「アロハ・オエ」や「Kuʻu Pua i Paoakalani」などは、ハーラウ(フラ教室)によってフラの演目として取り上げられることがあります。
女王のメレを踊るとき、クムフラ(フラの師匠)やダンサーたちは、旋律を覚えるだけではありません。歌詞に登場するハワイ語や土地の名、曲が作られた時代、その言葉の奥にあるカオナ(隠された意味)までたどりながら、どのような物語を舞台に表すのかを考えていきます。
たとえば「アロハ・オエ」は、もともと一つの別れの場面から生まれた歌です。恋人との別れを中心に表すこともあれば、故郷や大切な人々との別れを重ねて踊ることもあります。どの解釈を選び、どのような振付で表すかは、ハーラウやクムフラによって異なります。
「Kuʻu Pua i Paoakalani」を踊るなら、宮殿の一室に閉じ込められていた女王と、外の世界から届けられた花の物語が、踊りの背景にあります。ダンサーは花の美しさだけでなく、その花を届けた人の思いやりや、懐かしい庭を思う女王の心まで、動きの中に表そうとします。
ハワイ最高峰のフラの祭典として知られるメリーモナーク・フェスティバルでも、クムフラは歌詞の意味、ハワイ語の細かなニュアンス、人物や土地の歴史を学びながら演目を作り上げます。
女王のメレが選ばれることもありますが、全ハーラウが同じ「課題曲」を踊るわけではありません。それぞれのハーラウが受け継いできた知識と解釈によって、同じ歌からも異なる舞台が生まれます。
女王自身の姿が舞台に現れるわけではありません。それでも、ダンサーが一つひとつの言葉と向き合い、その背景にある風景や人への思いをからだで表すとき、リリウオカラニの音楽は再び息を吹き返します。
楽譜に残された旋律が、声となり、動きとなり、次の世代へ渡されていく。それが、女王のメレが現代のフラの中で生き続けているということなのです。
出典:Merrie Monarch Festival公式サイト/Hawaiʻi State Archives, Music from Queen Liliʻuokalani Manuscript Collections/Hawaiian Music and Hula Archives
歌に込めた女王の祈りを未来へ
歌は、女王の声を未来へ運ぶ
リリウオカラニ女王は王位を失いましたが、彼女の言葉と旋律まで失われたわけではありません。女王が残したメレには、人を慕う気持ち、故郷の風景、家族への思い、国を案じる心、そして神への祈りが、それぞれ異なる形で込められています。
すべての曲が同じ意味を持つわけではありません。「アロハ・オエ」は別れを歌い、「Kuʻu Pua i Paoakalani」には幽閉中の女王と外の世界をつないだ人への思いが重なります。「Ke Aloha o ka Haku」からは、苦しみの中でも赦しと平安を願った、女王の信仰を知ることができます。
政治の歴史だけを読んでいると、リリウオカラニは「ハワイ王国最後の女王」という言葉の中に閉じ込められてしまいます。けれども、彼女のメレに耳を澄ませると、音楽を愛し、人との別れを惜しみ、受けた親切を忘れず、苦しい時にも祈りを手放さなかった一人の女性の姿が見えてきます。
歌詞の意味や曲が生まれた背景を知ってから聴いたり踊ったりすると、同じメレでも、これまでとは違う言葉が心に残るかもしれません。楽譜に記された女王の声は、歌う人へ、踊る人へ、そして次の世代へと渡されていきます。
リリウオカラニの音楽を受け継ぐことは、ただ昔の歌を残すことではありません。その言葉に込められた人への思いと、ハワイの記憶に丁寧に耳を傾けることでもあるのです。
出典:Hawaiʻi State Archives, Music from Queen Liliʻuokalani Manuscript Collections/ Liliʻuokalani, Hawaii’s Story by Hawaii’s Queen/ Liliʻuokalani Trust, Her Story

