【歴史➈】憲法で国を守った王─カメハメハ3世とハワイ王国の未来

目 次

カメハメハ3世と立憲政治への目覚め

揺れる若き王の決意

王位に就いたカメハメハ3世、カウイケアウリ(Kauikeaouli)の胸には、若くして一つの大きな疑問が芽生えていました。それは「王は絶対でなければならないのか」という問いでした。兄カメハメハ2世(リホリホ)の急逝と、その混乱の中で王として立たざるを得なかった経験は、彼に深い思索を促したのです。
ハワイの島々には、古くからのカプ(kapu)制度が消え、新しい時代の空気が流れ始めていました。しかし同時に、西洋列強の影は日に日に濃くなり、いつ植民地化の危機が訪れるとも知れない不安が王の胸を締めつけていました。
そんな中、王は西洋から伝わる憲法(constitution)という言葉に強い関心を示すようになります。憲法とは、王だけが全てを決めるのではなく、国の仕組みや人々の権利を文字にして定めるという考え方でした。外国人から聞く話に耳を傾けるたび、カメハメハ3世は自分の国を守るために何が必要なのか、深く考えるようになっていったのです。
そして王は心に決めます。「ハワイ王国を世界の中で誇れる国にするため、自らの手で新しい仕組みを作らなければならない」と。こうしてカメハメハ3世は、立憲政治という未知の挑戦に一歩を踏み出すことになるのです。

出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)

ハワイ王国憲法の誕生とその衝撃

文字で国を守るという革命

カメハメハ3世、カウイケアウリ(Kauikeaouli)の心に芽生えた立憲政治への憧れは、やがて具体的な行動へと移されていきました。西洋の国々では、憲法(constitution)が国の基本を定め、人々の権利を保障していると知った王は、「ハワイを守るにはこれしかない」と強く感じたのです。
1840年、ハワイ王国初の憲法が公布されました。それは王の権力を一定のルールで縛りつつ、国民の権利を認めるという、ハワイ史上かつてない画期的な出来事でした。憲法の条文には、国王の権限、政府の組織、司法の仕組みが明文化されており、西洋の列強と対等に渡り合うための土台を築く狙いがありました。
しかし、憲法の誕生は国内に大きな波紋を呼びました。王の絶対的な存在を信じてきた人々の間には、「王が自分の力を制限するなど考えられない」という戸惑いが広がりました。一方で、新しい時代を感じ取っていた知識層は、これを大きな進歩として歓迎したのです。
こうしてカメハメハ3世は、自らの権力を削ってでも国を守るという、王として並々ならぬ覚悟を示しました。その選択は、ハワイをただの群島ではなく、一つの「国家」として世界に示す大きな一歩となったのです。

出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)

国際承認を勝ち取る外交戦略

世界に認めさせたハワイ王国の存在

憲法を制定したカメハメハ3世、カウイケアウリ(Kauikeaouli)の次なる目標は、ハワイ王国を独立した国家として世界に認めさせることでした。島々を取り囲むように迫る列強の影の中で、王は「自分たちの国を守れるのは自分たちしかいない」という強い信念を抱いていたのです。
1843年、イギリスの特使ジョージ・ポーレット(George Paulet)が突如ハワイを占領し、王国旗を降ろすという事件が起こりました。王と民は衝撃を受けましたが、カメハメハ3世は動揺を表に出さず、国を戦火に巻き込まぬよう忍耐強く交渉を続けました。そして同年7月31日、イギリス政府はハワイ王国の独立を認め、ポーレットの行為を撤回しました。この時、王が発した「Ua mau ke ea o ka ʻāina i ka pono(正義によって土地の生命は保たれる)」という言葉は、今もハワイ州のモットーとして語り継がれています。
さらに1849年にはフランスとも条約を結び、ハワイの独立を確実なものにしました。列強が覇権を争う時代にあって、小さな島国が独立を保つことは容易ではありませんでしたが、カメハメハ3世の外交手腕はそれを成し遂げたのです。
王の外交は単なる取引ではなく、「ハワイは世界の中で一つの国である」という誇りを示す戦いでもありました。こうしてハワイ王国は、列強の中においても堂々とした存在感を放つようになったのです。

出典:Hawaii State Archives(https://digitalarchives.hawaii.gov/)

経済発展と土地制度改革

マヘレがもたらした光と影

カメハメハ3世、カウイケアウリ(Kauikeaouli)の治世の中でも、特に大きな転機となったのが、土地制度の改革、いわゆる「マヘレ(Māhele)」でした。それまでハワイの土地は、王を頂点とした階層社会のもと、個人が所有するという概念はなく、全てが共同体のものとされていました。
しかし西洋の経済活動が活発になる中で、土地を誰のものか明確にしなければ外国人との取引も進まず、国の財政も危うくなるという危機感が広がっていきました。カメハメハ3世はついに決断し、1848年、土地を分割し登記する制度、マヘレを施行したのです。
これにより、王族やアリイ(aliʻi=貴族)、民衆、そして外国人が土地を所有できるようになりましたが、その結果、多くのハワイ人が登記制度を理解できず、土地を失う事態が続出しました。史料には、泣きながら土地を手放す人々の姿が記されており、王もまた、この改革がもたらした予期せぬ悲しみに心を痛めていたと伝わっています。
それでも王は信じていました。マヘレがハワイ王国を世界の中で自立した国にするために必要な一歩であることを。そしてこの改革こそが、次の世代に自由と繁栄の可能性を託すものであると。

出典:Hawaii State Archives(https://digitalarchives.hawaii.gov/)

カメハメハ3世が遺した未来への道

王の願いが繋いだハワイの誇り

カメハメハ3世、カウイケアウリ(Kauikeaouli)は、憲法(constitution)の制定や外交、経済の改革など数々の功績を残し、ハワイ王国を「国家」として世界に認めさせる礎を築きました。彼が自らの権力を制限する決断をしたことは、王として苦渋の選択でしたが、その勇気がハワイの未来を大きく開いたのです。
彼の治世の後、ハワイはさらに西洋文化や経済の波にさらされ、複雑な歴史の道を歩むことになります。しかしカメハメハ3世が築いた立憲政治の土台や外交で得た国際的地位は、その後も長く王国を支える強い支柱となりました。
史料には、王が晩年「自分が行ったことが、未来の子どもたちの幸せにつながることを願う」と語ったと伝えられています。その言葉の通り、彼の功績は今もなお、ハワイの人々に誇りとアイデンティティを与え続けているのです。
そして彼の物語は、ハワイ王国の歴史の中で新たな章へと繋がっていきます。次に登場するのは、さらなる変革の時代を生き抜く新たな王たち──ハワイの物語はまだ終わりません。

出典:Hawaii State Archives(https://digitalarchives.hawaii.gov/)

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