カラカウア王の外交の旅 ─ 世界一周で築いたハワイと世界の絆

目 次

王の夢と大航海の始まり

1881年、ハワイ王国のカラカウア王(Kalākaua)は、大きな決意を胸にホノルル港を出航しました。
王が選んだのは、現役の君主としては世界初となる世界一周の旅でした。
なぜ王は海を越える決断をしたのでしょうか?
当時、ハワイは西洋列強の影響が強まり、王国の独立が脅かされる状況にありました。
カラカウア王は、自国の存在を世界に示し、強い友好関係を築くことでハワイの未来を守ろうと考えたのです。
さらに王は、ハワイの文化やフラ(Hula)を世界に紹介し、人々の心をつなぎたいとも願っていました。
前回は王の日本訪問に焦点を当てましたが、今回の記事では王が世界の国々で出会った人々、交わした言葉、そして築いた絆に迫ります。
カラカウア王の旅は、ただの外交ではなく、ハワイの誇りを背負った冒険でもあったのです。

アジアで築いた友情

カラカウア王(Kalākaua)の世界一周の旅は、日本を出た後もアジアの国々へと続きました。
王が訪れたのは、中国やタイなど、急速に変わりつつあったアジアの国々でした。
中国では、清朝の宮廷を訪問し、皇族たちと面会しました。
華やかな衣装や宮殿の壮麗さに、王は目を輝かせたと伝えられています。
また、王はタイにも足を運び、ラーマ5世(King Chulalongkorn)と交流しました。
ラーマ5世も近代化を進める国王であり、カラカウア王とは「小さな国が大きな列強に飲み込まれないためには文化と外交が大切だ」と語り合ったと言われています。
王は各地でフラ(Hula)やハワイの音楽を披露し、人々にハワイの文化を紹介しました。
こうした文化交流は、単なる挨拶以上に、ハワイという国の存在を世界に印象づける大きな力になったのです。
アジアの王たちも、遠い南の島からやってきたカラカウア王に興味を示し、その礼儀や文化に敬意を払いました。
このアジアでの経験は、王にとって世界が広く繋がっていることを実感させる貴重な時間となりました。

ヨーロッパ王室との交わり

カラカウア王(Kalākaua)の世界一周は、アジアを離れた後、いよいよヨーロッパへと向かいました。
最初の訪問地のひとつはイギリスで、王はヴィクトリア女王(Queen Victoria)と謁見しました。
女王は、遠くハワイからやってきた王を丁重に迎え、ハワイ王国の話を熱心に聞いたと言われています。
カラカウア王は宮殿での式典に招かれ、ハワイのフラ(Hula)や音楽の話を披露し、王室の人々を楽しませたそうです。
その後、王はフランスやドイツなども訪れ、それぞれの国で盛大な歓迎を受けました。
特にフランスでは、宮殿で行われた晩餐会で、王の絹の礼服や勲章が人々の目を引き、「南の海の王」として大きな注目を浴びました。
ドイツでは、皇帝とも面会し、国の近代化や文化について語り合ったと伝えられています。
ヨーロッパ各国を巡る中で、カラカウア王は「小さなハワイ王国がいかに文化豊かで独立心を持っているか」を堂々と語り、各国の王侯貴族に強い印象を残しました。
この旅は、王にとって外交の舞台でハワイを主張するだけでなく、自分の国の誇りを世界に伝える特別な機会となったのです。

アメリカ訪問の真実

ヨーロッパ各国を巡った後、カラカウア王(Kalākaua)の旅はアメリカ合衆国へと続きました。
王が訪れたのは、ワシントンD.C.やニューヨークなど、当時急速に発展していた都市です。
アメリカ政府はハワイ王の来訪を丁重に迎え、大統領との面会も実現しました。
この面会では、ハワイ王国の独立を保ち続けたいという王の強い思いが語られたと伝えられています。
王はアメリカでの公式行事に参加するだけでなく、新聞のインタビューにも応じ、ハワイの文化やフラ(Hula)の魅力を積極的に語りました。
一方で、ハワイをアメリカの影響下に置こうとする声も少しずつ高まり始めていた時期で、王にとってこの訪問は友好の証だけでなく、微妙な緊張感も伴っていました。
ニューヨークでは、王が絹の礼服にハワイ王国の勲章をつけて現れた姿が多くの新聞に取り上げられ、「遠い南洋の王」という見出しが人々の好奇心を引きつけました。
また、王は各地の大舞踏会や晩餐会にも招かれ、その場でハワイの伝統文化を紹介し、多くの聴衆を魅了したといわれています。
アメリカでの滞在は華やかでありながらも、王にとっては自国の未来をかけた真剣な外交の場でもあったのです。

世界一周がハワイに残したもの

カラカウア王(Kalākaua)の世界一周は、ただの旅ではありませんでした。
各国の王侯貴族と会い、ハワイのフラ(Hula)や音楽を伝えたことで、ハワイ王国という小さな国が世界に確かに存在することを示す大きな外交成果となりました。
特に王は、ハワイの文化を単なる「南の島の風物」としてではなく、誇るべき国の魂として伝えようと努めました。
旅を通じて築かれた数々の友好関係は、ハワイが列強に呑み込まれないための心強い後ろ盾になったと言われています。
しかし同時に、王は世界の大きな力の中で小国が独立を守る難しさを痛感することにもなりました。
それでもカラカウア王の挑戦は、ハワイの未来への希望を生み、今も多くのハワイアンが「王の旅は私たちの誇り」と語ります。
カラカウア王が世界を巡り築いた絆は、今日もハワイの文化や人々の心の中に生き続けているのです。

参考文献:Noenoe K. Silva, Aloha Betrayed: Native Hawaiian Resistance to American Colonialism, 2004, Duke University Press; Davianna Pōmaikaʻi McGregor, Nā Kuaʻāina: Living Hawaiian Culture, 2007, University of Hawaii Press; Jon M. Van Dyke, Who Owns the Crown Lands of Hawaiʻi?, 2008, University of Hawaii Press; Ralph S. Kuykendall, The Hawaiian Kingdom Volume 3: 1874–1893, 1967, University of Hawaii Press; Gavan Daws, Shoal of Time: A History of the Hawaiian Islands, 1968, University of Hawaii Press

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