【歴史シリーズ第1回】
古代の航海者たちと神話の世界
星と波を読み、海を越えた人びと
ハワイの歴史は、1,500年以上前、南太平洋のポリネシアから始まります。カヌーに乗って星や波、雲の動きから方角を読み取り、何千キロも離れたこの島々にたどり着いた人びとがいました。地図もコンパスもない時代に、大海原を渡るその知識と技術は、現代の私たちから見ても驚くべきものです。
神話とともに暮らす社会
到着した人びとは、ハワイの自然と共生しながら暮らしを築きました。そこには多くの神々が存在し、火山の女神ペレや海の神カナロアなど、自然現象と神々が密接に結びついていました。人々は「カプ」と呼ばれる聖と俗を分けるルールを守り、神聖な秩序のもとで社会を保っていたのです。
文字のない文化、語り継がれる知恵
当時のハワイには文字はありませんでしたが、口承(オーラル・トラディション)によって物語や歴史、知識が代々伝えられました。フラもまた、神話や自然を表現する神聖な手段のひとつ。踊りや歌には、歴史を語り継ぐ大切な役割があったのです。
伝統的なポリネシア航海カヌー「Hōkūleʻa」。星や波、風を頼りに海を渡ってきた祖先たちの姿を伝えています。カメハメハとハワイ王国の統一
戦いの中にあった、大きな夢
18世紀後半のハワイ諸島は、島ごとに酋長が治めるバラバラの世界でした。そんな時代に現れたのが、ハワイ島に生まれたカメハメハ。彼はただの戦士ではなく、西洋からもたらされた火器や戦術を取り入れて、じっくりと力を蓄えました。戦いのたびに成長していったカメハメハは、少しずつ他の島々を征服していきます。
ひとつの国になるという奇跡
何年にもわたる戦争の末、1810年、ついにすべての主要な島々がカメハメハのもとに集まりました。これがハワイ史上初の「統一国家」の誕生です。大小の島々がひとつになるというのは、当時としては驚きの出来事でした。ここに「ハワイ王国」が正式に誕生し、カメハメハはその初代国王となったのです。
王としての手腕も一流だった
戦いの人と思われがちなカメハメハですが、国王になってからは政治にも尽力しました。交易ルールを整え、税を定め、人々の暮らしを守ろうと努めたのです。外国との関係にも慎重に対応し、ハワイ王国の基盤をしっかり築き上げました。ハワイの統一は「力」だけでなく、「知恵」と「戦略」があったからこそ実現したのです。
カメハメハ大王の肖像画(1822年、ジョン・ウェバー作)。西洋との出会いと変化
船と一緒にやってきたもの
カメハメハの時代から、ハワイには西洋の船がたびたび訪れるようになりました。鉄の道具や布、銃、そして新しい考え方がもたらされ、生活は徐々に変化していきます。タパ布から洋服へ、石の道具から鉄の道具へと移り変わるのは、新たな時代の始まりを告げていました。
キリスト教と読み書きの広がり
1820年、アメリカからキリスト教の宣教師が来航し、フラや伝統宗教を異教とみなして禁止を求めました。その一方で、読み書きの教育が急速に広がり、ハワイ語で書かれた新聞も発行されるほど教育レベルが高まりました。当時のハワイは文字文化の先進社会でした。
ハワイ語新聞「Ka Nupepa Kuokoa」とマストヘッドの意味
そんなハワイ語文化の象徴として発行されたのが、「Ka Nupepa Kuokoa」という新聞です。今回掲載する画像は新聞の本文ではなく、最上部にあるタイトル部分「マストヘッド」と呼ばれるもので、新聞の顔として大切にされていました。このデザインは19世紀の識字文化の高さを今に伝える貴重な資料です。
ハワイ語新聞「Ka Nupepa Kuokoa」のマストヘッド(1872年)。19世紀の識字文化の高さを象徴する貴重な資料です。 伝統と変化のはざまで
同時期に「カプ制度」が廃止され、神々とのつながりを感じていた日常は変わり始めました。フラも一時的に公の場から姿を消し、島の文化は大きな転換期を迎えました。
王国の終焉とアメリカ併合
最後の女王、リリウオカラニの願い
1891年、ハワイ王国の最後の君主として即位したのがリリウオカラニ女王でした。彼女はハワイの人々のために、権利を守る新しい憲法をつくろうとしました。しかし、それを快く思わなかったのが、アメリカ系の移民たち。1893年、彼らはクーデターを起こし、王宮を包囲して女王を退位させてしまいました。
戦争ではなく、策略だった
この政変にはアメリカ政府の一部が関与していたと言われていますが、戦争による占領ではなく、政治的な圧力と策略によるものだったのが特徴です。武器を取ることなく、ハワイ王国はその幕を閉じました。王国の旗が降ろされたとき、多くの人々が涙を流したと伝えられています。
アメリカの一部へ
その後、ハワイは1898年にアメリカ合衆国に併合され、1900年には準州となります。公用語は英語に変わり、ハワイ語や伝統文化は次第に表舞台から姿を消していきました。王国としてのハワイは失われても、人々の心にはその誇りと記憶が残り続けたのです。
ハワイ王国最後の女王、リリウオカラニ。文化と言葉の継承に力を注ぎました。アメリカ州昇格と文化復興
ハワイがアメリカの州になった日
1959年、ハワイはアメリカ合衆国の50番目の州として正式に仲間入りを果たしました。これは住民投票の結果によるもので、州になることで経済の発展や教育の充実が期待されていたのです。州昇格によって、アメリカ本土からの観光客も急増し、ハワイは観光地として大きく変わりはじめました。
失われた文化へのまなざし
一方で、州昇格のころから、「ハワイらしさ」を見直そうという動きも出てきます。消えかけていたハワイ語やフラ、伝統的な価値観にもう一度光をあてようとする人たちが現れたのです。学校でのハワイ語教育が復活し、フラ教室も増加。失われかけていた文化が、少しずつ息を吹き返していきました。
いま、そして未来へ
現在のハワイは、多民族・多文化の島として、さまざまなルーツを持つ人々が共に暮らしています。伝統と現代、観光と地域文化、自然と都市──それぞれが重なり合いながら、新しいハワイがつくられています。過去の歴史を大切にしながら、次の世代へとバトンをつなぐ旅は、いまも続いています。