【歴史㉓】サンフォード・ドールの決断─ハワイ共和国が見た新しい未来

目 次

新政府を率いた男、サンフォード・ドール

ハワイ王国が崩壊したそのとき、歴史の表舞台に立ったのがサンフォード・ドール(Sanford Dole)という一人の男でした。
アメリカ人宣教師の子としてハワイに生まれた彼は、弁護士として名を成し、王政下では裁判官も務めた経験を持ちます。
しかし、彼の心には常に「ハワイの未来を西洋式の法と秩序で導くべき」という信念がありました。
王政末期、リリウオカラニ女王(Liliʻuokalani)が憲法改正を試みたことを危機ととらえたドールは、白人実業家たちや外国勢力とともに臨時政府(Provisional Government)を樹立します。
そして1894年、ハワイ共和国(Republic of Hawaii)の初代大統領として国家の舵取りを任されることになりました。
ハワイを愛するという点では王族もドールも変わらなかったかもしれませんが、その「愛し方」が大きく異なっていたのです。

出典:Hawaiian Historical Society

王党派の抵抗と民衆の揺れる心

ハワイ共和国(Republic of Hawaii)の樹立は、すべての人々に歓迎されたわけではありませんでした。
リリウオカラニ女王(Liliʻuokalani)を支持する王党派(Royalists)は、王国を取り戻すために各地で嘆願書を集め、国際社会へ支援を訴えました。
中でも有名なのが、女性たちが中心となった「クイーンズ・ペティション(Queen’s Petition)」です。
数万人もの署名を集めた彼女たちは、王国復活を信じてアメリカ政府に嘆願書を提出しましたが、その願いは届きませんでした。
一方、王党派の動きに対して臨時政府は警戒を強め、取り締まりや監視を強化します。
街では、共和国を支持する声と王国を惜しむ声が交錯し、多くの民衆が「どちらの未来が本当に自分たちの幸せなのか」と心を揺らしていました。
この激動の時代、ハワイ社会は静かに、しかし確実に分断の色を深めていったのです。

出典:Hawaiian Historical Society

共和国が進めた新たな統治

ハワイ共和国(Republic of Hawaii)の樹立は、単なる政権交代ではありませんでした。
サンフォード・ドール(Sanford Dole)は、自らの信念に基づき、西洋式の法と秩序をハワイに根づかせようとしました。
裁判所の仕組み、税制、土地登記の制度など、近代国家を目指す政策が次々と導入されました。
しかし、その近代化の裏側で、王国時代の文化や伝統が危機にさらされていきます。
フラ(Hula)はその象徴でした。
ドール政権下では、フラは「道徳に反するもの」と見なされ、公的な場所での上演は禁止される空気が強まります。
フラを愛する人々は、それでも小さな家や森の中でひそやかに踊り続けました。
古いチャント(oli)や舞の型を語り継ぐ彼らの姿は、まるで消えかけた灯火を守るようでもありました。
ハワイ共和国の新たな秩序は、同時に人々の心に「失ってはならないものとは何か」という問いを投げかける時代だったのです。

出典:Hawaiian Historical Society

国際社会と共和国の行方

ハワイ共和国(Republic of Hawaii)は、自らの存在を正当化するために、世界各国から承認を得ようと奔走しました。
サンフォード・ドール(Sanford Dole)は外交の場に立ち、アメリカ合衆国(United States)をはじめ、日本、イギリス、フランスなどにハワイ共和国の承認を求めました。
アメリカの政府内でも意見は分かれ、当初は臨時政府に懐疑的な声もありましたが、やがて商業的・軍事的な思惑が後押しとなり、アメリカは徐々に共和国を支持する方向へと傾いていきます。
一方で、ハワイの民衆の心は複雑でした。
「ハワイは本当に新しい時代を迎えたのか、それとも大国の影に飲み込まれてしまうのか」。
街の片隅では、王国を取り戻したいと願う者たちが密かに集まり、英語ではなくハワイ語(Hawaiian language)で語り合っていました。
そしてその中には、再びフラ(Hula)を人々の前に取り戻す夢を抱き続ける人々もいたのです。

出典:Hawaiian Historical Society

王国の記憶と未来への種

ハワイ共和国(Republic of Hawaii)はわずか4年余りの短い命でしたが、その存在はハワイの歴史に深い爪痕を残しました。
サンフォード・ドール(Sanford Dole)の掲げた「近代国家」という理想は、西洋化を加速させる一方で、王国時代の文化やアイデンティティを人々から遠ざける結果にもつながりました。
しかし、王国を愛した民衆の心の奥には、失われた王冠への想いと共に、フラ(Hula)やハワイ語(Hawaiian language)、そして古い伝承が絶えることなく生き続けていました。
王政を失い、新しい国家の形を模索したこの時代は、ハワイの人々に「自分たちは何者か」という問いを突きつけた瞬間でもあったのです。
そしてその問いこそが、のちにフラ復興や文化運動を生む大きな原動力となっていきます。
王国という過去の記憶は、決して消えることなく、今もハワイの未来への種となって息づいているのです。
次の記事では、ハワイがいかにしてアメリカ合衆国へ併合されていったのか、その裏側の物語をお届けします。

出典:Hawaiian Historical Society

ハワイ共和国の短い歴史は、政治だけでなく、その後の産業にも少なからぬ影響を与えました。
サンフォード・ドール(Sanford Dole)の一族からは、後にハワイの名産品となるドール・パイナップル産業を築いたジェームズ・ドール(James Dole)も輩出されています。
ドール・ファミリーがハワイにもたらした甘い物語については、ぜひ関連記事の ハワイの太陽と甘い記憶 ─ドール・パイナップルの物語 もご覧ください。

出典:Hawaiian Historical Society

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