ハワイの格子柄「パラカ」─ 移民が愛したチェック模様の物語

目 次

パラカって何?

青と白の素朴な格子柄──それが「パラカ」と呼ばれる布地の特徴です。 この柄のルーツは遠くヨーロッパにあり、スコットランドのタータンチェックに由来するといわれています。 アメリカ本土では「プレイド」として親しまれ、19世紀には丈夫な綿のチェック柄生地が労働着として広まりました。

やがてこれらの作業着がハワイにも持ち込まれ、英語の “frock(作業着)” を語源に、ハワイ語では「palaka(パラカ)」と呼ばれるようになります。 ハワイではこの厚手の格子柄の生地が農園や港などの現場で広く使われ、島の暮らしに深く根づいていきました。

出典:Mary Kawena Pukui & Samuel H. Elbert, Hawaiian Dictionary / Honolulu Museum of Art

プランテーションとパラカ

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ハワイには多くの移民労働者がプランテーションで働くために集まりました。 中国、ポルトガル、日本などから渡ってきた人々の作業着として広く使われていたのが、パラカと呼ばれるチェック柄の綿布です。 通気性が良く、丈夫で洗濯にも強いことから重宝され、農場では定番のユニフォームとなっていきました。

出典:Japanese Cultural Center of Hawaiʻi / Hawaiʻi Plantation Village

日本人移民とパラカ

明治時代、日本からハワイへと渡った移民たちは、当初は和装で暮らしていました。 しかし、現地の気候や労働環境に適応するなかで、次第に洋装を取り入れるようになります。

その中でも、左右に開く前合わせの形や、青と白の素朴な格子柄が親しみやすかったパラカは、自然と日本人移民の暮らしに溶け込んでいきました。 市松模様や縞模様など、日本でも馴染みのあるデザインに近かったことも、受け入れられた理由のひとつといえるでしょう。

出典:Hawaiʻi Japanese Center / 移民史関連資料

ローカル文化としての進化

戦後のハワイでは、パラカは単なる作業着ではなく、地域に根ざした日常着として受け入れられるようになりました。 アロハシャツが観光や祝祭を象徴する衣服だとすれば、パラカはハワイで暮らす人々の生活そのものを映し出す存在といえます。 学校の制服や文化行事、家族写真など、さまざまな場面で着用され、現在もなおローカルスタイルの象徴として親しまれています。

出典:Honolulu Museum of Art / Honolulu Star-Advertiser