【歴史⑫】カメハメハ王朝最後の希望─カメハメハ5世、ロット王子の若き日々
ロット王子の誕生とカメハメハ4世との絆
誤解されがちな兄弟の真実と王位継承の謎
カメハメハ5世、本名ロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)は、1830年にホノルルで誕生しました。彼の母はキナウ(Kinau)といい、カメハメハ大王の娘であり、カメハメハ3世(カウイケアウリ)の妹にあたります。そして父は高貴なアリイ(aliʻi=貴族)のケクアナオア(Kekuanaōʻa)でした。
ここで多くの人が誤解しがちなのは、ロット王子とアレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)の間柄です。史料や解説で「いとこ」と書かれることもありますが、これは間違いです。ロットとリホリホは同じ両親を持つ、正真正銘の実の兄弟です。ロットが兄、リホリホが弟にあたります。
そして、二人はカメハメハ大王の孫という立場にあり、カメハメハ3世とは叔父と甥の関係にあたります。つまり、カメハメハ3世は兄弟二人の母であるキナウの兄にあたり、二人にとっては母方の叔父でした。
ではなぜ、兄のロットではなく弟のリホリホが先に王位を継いだのか──それには当時のハワイ王国特有の事情があります。王位継承は単純な年長順ではなく、王族内の合意や王自身の指名が大きく影響しました。史料によると、外交的で明るく、西洋文化に通じていたリホリホは、カメハメハ3世から特に信頼を集めており、「次の王」として指名されました。一方でロット王子は無口で内向的な性格だったため、当時は後継者として表に立たなかったと伝わっています。
それでも二人は兄弟として深い絆で結ばれていました。史料には、時に激しく意見を戦わせながらも、互いを理解し支え合った姿が記されています。特にロット王子は、王として苦悩する弟を影から支え、王家としての責務と民を守る難しさを痛感するようになっていきました。
その誇り高い沈黙の陰で、ロット王子の心には「自分自身のやり方でハワイを守りたい」という強い思いが静かに育っていったのです。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)
ロット王子の性格と教育
静かなる思索と王族としての誇り
ロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)は、幼い頃から兄弟の中でも特に無口で思索的な子どもでした。史料には、彼が宮殿の隅で一人静かに書物を読んでいた姿が繰り返し記されています。周囲の賑わいよりも、自分の心と向き合う時間を大切にする性格だったのです。
カメハメハ3世(Kamehameha III)の時代、王族の子どもたちは西洋式の教育を受けるようになっていました。ロット王子も例外ではなく、ハワイ語(Hawaiian)と英語(English)を学び、外国人宣教師たちから歴史や政治の教えを受けました。しかし弟のアレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)が外交や社交に強い関心を示したのに対し、ロット王子はむしろハワイの古来の伝統や文化に心を寄せていたと伝わっています。
そのため、ロット王子は若い頃から周囲から「古い時代の魂を受け継ぐ者」と呼ばれることがありました。一方で、彼の瞳には「ハワイを守るためには新しい知識も必要だ」という強い決意が宿っていたとも記録されています。
史料によれば、彼は「西洋の学びも大事だが、それに呑まれてはいけない。ハワイにはハワイの道がある」と語っていたそうです。その言葉の奥には、やがて自らが王として進むことになる険しい道を、すでに予感していたかのような響きがありました。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)
王位継承への葛藤と決断
兄弟愛と王国への責任の狭間で
弟のカメハメハ4世、アレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)が即位した際、兄であるロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)は深い想いを抱えていました。彼は弟を誇りに思う一方で、自分が王位につかなかった理由を心の奥で問い続けていたといわれます。
史料には、ロット王子が弟を支える立場に徹しながらも、ときに激しい意見の対立があったことが記されています。外交的で西洋の文化を積極的に取り入れようとする弟に対し、ロット王子は「ハワイの伝統を失ってはならない」という強い信念を持っていたからです。
しかし1858年、弟カメハメハ4世に待望の世継ぎ、アルバート王子(Prince Albert Kamehameha)が誕生すると、王位の継承問題はさらに複雑になりました。王国全体が次代の安泰を期待する中、ロット王子は「自分の役割は弟と甥を支えることだ」と心に決めたとも伝わっています。
ところが1862年、アルバート王子がわずか4歳で急逝すると、事態は一変しました。弟の心は深く傷つき、王国の未来は再び不安に包まれます。そして1863年、カメハメハ4世も若くして亡くなると、王位は空位となりました。
史料には、王族の重臣たちが「王国を率いるのはロットしかいない」と口々に語ったと記されています。王位に就くことを避け続けてきたロット王子もまた、ついに心を決めます。「私がやらねば、この国は守れない。」それが彼の決意の瞬間でした。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)
即位するカメハメハ5世の決意
王座を拒んだ男が立った理由
1863年、カメハメハ4世が若くして世を去ると、王位は空位となりました。王国全体が悲しみに沈む中、重臣たちは一人の人物に視線を向けます。それがロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)、後のカメハメハ5世です。
彼は長年、弟を支える立場に甘んじ、自ら王位につくことを避け続けてきました。史料によれば、「王でいることは名誉ではなく、重い責務だ」と語った彼は、権力を追い求めるよりも民を見守ることを選んできたと言われます。
しかし弟の急逝、さらにアルバート王子(Prince Albert Kamehameha)の死という二重の悲劇の後、王国は深い混乱に陥りました。西洋列強の影がますます濃くなり、王位を空席のままにはできなかったのです。
史料には、ロット王子が「もし自分が退けば、この国は異国の手に渡るかもしれない」と語った記録が残っています。兄弟を失い、民を失うわけにはいかない──その想いが、ついに彼を王座へと立たせました。
1863年、正式にカメハメハ5世として即位したロット王子は、兄弟とは異なる強い統治者の顔を見せ始めます。それはハワイ王国にとって、また新たな運命の扉を開く瞬間だったのです。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)