【歴史⑬】憲法を変えた王─カメハメハ5世とハワイ王国最後の闘い

目 次

即位したカメハメハ5世の強い統治

王として歩み出した孤高の決意

1863年、ロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)は正式にカメハメハ5世として即位しました。弟であるカメハメハ4世(Alexander Liholiho)の急逝、さらにアルバート王子(Prince Albert Kamehameha)の死という悲劇を経て、王国は深い混乱にありました。西洋列強の影は一層濃く、王国の独立が揺らぐ中で、王位に立つことを決断した彼は「王の座は名誉ではなく、責任だ」と周囲に語ったと伝えられています。
即位したカメハメハ5世は、弟とはまったく異なる強い統治者の顔を見せ始めました。史料には、彼が「民を守るためには、時に厳しい決断を下さなければならない」と語った言葉が残っています。弟の時代は外交と妥協を重んじた柔軟な政治が特徴でしたが、カメハメハ5世は「王権の強化」こそが王国存続の道だと考えていました。
宮廷内では「王が恐ろしく厳しくなった」と噂されましたが、その根底には深い愛国心があったのです。彼はハワイ人(Kanaka Maoli)の誇りを守りたいと願い、国の未来を案じていました。史料によると、彼は「ハワイを守るのは王の責務だ。民に痛みを強いることがあっても、国が滅びるよりはましだ」と語ったとも記されています。
こうして即位したカメハメハ5世は、王国の存続をかけた戦いへと足を踏み入れることになりました。彼の治世は、妥協なき強い意思とともに始まったのです。

出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)

カメハメハ5世と1864年憲法

王権を取り戻すための大改革

即位したカメハメハ5世、ロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)は、王としての最初の大きな挑戦に乗り出しました。それが1864年の新憲法(Constitution)制定です。弟カメハメハ4世(Alexander Liholiho)の時代に施行されていた1852年憲法は、立憲君主制の色合いが強く、王の権限を大きく制限するものでした。しかしカメハメハ5世は「王が王国を守れない憲法は意味がない」と考え、徹底した改正を決意します。
史料によれば、彼は議会(Legislature)を召集し、新しい憲法を討議させましたが、議員たちの意見はまとまらず、議論は紛糾しました。やがて王は「民の声を聞くことは重要だが、国を導くのは王だ」と言い放ち、議会を解散し、自ら憲法を公布するという大胆な行動に出ました。
こうして制定された1864年憲法では、選挙権に財産資格を設けるなど、民衆の政治参加を厳しく制限し、王権を強化する条項が盛り込まれました。これにより、王は再び強い統治権を手にしましたが、一方で「専制的すぎる」との批判も高まりました。
史料には、カメハメハ5世が「もし強い王がいなければ、ハワイは異国に呑まれる」と語った記録が残っています。彼にとって憲法の改正は、個人の権力欲ではなく、王国を守るための最後の手段だったのです。

出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)

王権強化と民衆の反応

厳格な統治と揺れる民の心

カメハメハ5世、ロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)は1864年憲法(Constitution)の公布後、王権をさらに強化しようとしました。王は西洋列強の脅威をはねのけるには、国がひとつにまとまる強い統治が必要だと信じていたからです。史料によれば、王は「ハワイ人(Kanaka Maoli)の未来を守るためには、甘い理想では国は持たない」と語ったと記されています。
しかし王の強権的な政策には、民衆の間に複雑な空気が流れ始めました。議会(Legislature)の解散や選挙権の制限は、一部の人々には「王が国を守るためには仕方ない」と受け止められましたが、他方で「民の声が届かなくなった」と不安を覚える者も増えていきます。
また、外国人商人たちは王の方針を警戒し始め、経済的な不満も広がりました。史料には、「国王があまりに厳格であるがゆえに、宮廷内でも恐れられた」と書かれています。
それでもカメハメハ5世は、自分が厳しくあることが王国を守る唯一の道だと信じていました。「王は民のために痛みを引き受ける存在だ。」そう語った彼の姿勢は、賛否はあれど、民に強烈な印象を残したのです。

出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)

後継者問題と王朝の行方

血筋を絶やすまいとした王の孤独な闘い

カメハメハ5世、ロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)の治世の晩年を最も苦しめたのは、後継者問題でした。史料には、王が「カメハメハ家の血が絶えることは、ハワイ王国の誇りの終わりだ」と語ったと記されています。
弟のカメハメハ4世(Alexander Liholiho)も早逝し、甥のアルバート王子(Prince Albert Kamehameha)も幼くして亡くなったことで、カメハメハ大王から続く直系の血筋は途絶えようとしていました。王は自ら結婚し、後継ぎをもうけようと考えましたが、その願いは叶いませんでした。結婚相手を選ぶにも、王族の血統や政治的駆け引きが絡み、思うように進まなかったのです。
1866年頃から王の健康は次第に悪化し、王宮には不安な空気が漂い始めます。史料には、王が「ハワイを愛する者に王冠を継がせたいが、その者が見つからない」と嘆いたとも記されています。
ハワイ王国は次第に「カメハメハ王家が絶えたあとの未来」を現実の問題として考えざるを得なくなりました。王の孤独と苦悩は深まるばかりであり、それはやがて、王朝断絶という歴史の大きな節目へと繋がっていくのです。

出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)

カメハメハ5世の最期と王朝の終焉

孤高の王が託した未来

カメハメハ5世、ロット・カプアイワ(Lot Kapuāiwa)の体は、1860年代後半になると目に見えて衰え始めました。激務と心労が重なり、王の健康は日に日に悪化していきます。史料には、王が病の床でも「この国を守るのは王の責務だ」と語り続けた姿が記されています。
1872年12月11日、王はその生涯を閉じました。享年わずか42歳でした。王位継承者を指名できないまま亡くなったことで、王国は重大な転機を迎えます。カメハメハ大王から続いてきた血統はここで途絶え、ハワイ王国は初めて「選挙」で新たな王を選ばねばならなくなったのです。
王の死後、宮殿には深い悲しみが漂いましたが、同時に「これから誰がハワイを率いるのか」という不安と期待が交錯しました。史料には「ロット王は厳しい王だったが、民を深く愛していた」との声が多く残っています。
カメハメハ5世が守ろうとしたもの──それはハワイという国の独立と、ハワイ人(Kanaka Maoli)の誇りでした。王の治世は短かったものの、その信念と行動は後世に大きな影響を与えました。
そして物語は、新しい時代へと進みます。果たして次に王冠を手にするのは誰なのか。ハワイ王国の運命は、いよいよ新たな局面を迎えることになるのです。

出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)

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