カメハメハ大王の顔を伝えたただ一人の画家──ルイ・ショリスの物語

目 次

カメハメハ大王──統一の王と活気あふれるハワイ

19世紀初め、ハワイ諸島には潮風をはらんだ帆船が出入りし、港は外国から運ばれる品々で賑わっていました。甲板では日に焼けた船乗りたちが声を張り上げ、浜には異国の布や鉄製の道具が山と積まれています。その一方で、王族たちは真紅や黄色の羽根マントを身にまとい、古い神殿では今も太鼓の音が響いていました。

この時代を統治していたのが、カメハメハ大王です。ハワイ諸島を統一し、王国を築き上げた彼は、ただ武力に優れた王ではありませんでした。外国人に対しても礼儀正しく接し、贈り物を惜しみなく与えたという記録が残っています。その度量の大きさと外交手腕は、異国の人々をも強く惹きつけました。

太平洋をめぐる大国の野望──ハワイに押し寄せた外国の影

カメハメハ大王が統治していた19世紀初頭、世界は大きく動いていました。太平洋には捕鯨船や交易船があふれ、中国貿易の富を目指す列強が新しい航路を探していました。その中でも目立った存在が、遠くロシア帝国でした。

当時、ロシアはアラスカを領有し、ラッコやオットセイの毛皮で莫大な利益を上げていました。しかし、アラスカの厳しい寒さと孤立した環境のため、航海の途中に食料や水を確保する補給地が必要だったのです。青い海に浮かぶハワイ諸島は、その絶好の寄港地として俄然注目を集めました。

さらに、ヨーロッパ各国が太平洋の支配をめぐってしのぎを削る中、ロシアもその一角を占めようとしていました。1816年、皇帝アレクサンドル1世の命を受けた探検家オットー・フォン・コッツェブーが、ハワイの地を目指します。そして、その探検隊に若き画家ルイ・ショリスが乗り込んでいたのです。

若き画家ルイ・ショリス──太平洋を渡る筆先

ルイ・ショリスは、わずか20歳そこそこの若きフランス人画家でした。生まれはドイツ系フランス人の家系で、早くから絵の才能を示し、その筆は人や風景を生き生きと描き出すことで知られていました。そんな彼に訪れたのが、ロシア帝国の探検隊に公式画家として乗り込むという大きな運命の転機でした。

ショリスが加わった探検は、皇帝アレクサンドル1世の命令によるもの。世界の海図を塗り替えるため、そしてロシアの交易ルートを拡大するための壮大な航海でした。探検隊の船「ルーリク号」には、測量士、科学者、医師など各分野のエキスパートが集い、その中でショリスは「目で見た世界を正確に残す」という重大な役目を担っていました。

ハワイ諸島へと続く青い航路を進む中、ショリスのスケッチ帳は各地の風景、人々の姿、異国の文化で埋め尽くされていきます。そして1816年、彼はハワイの地に足を踏み入れるのです。それが、ハワイ王国と一人の若き画家との歴史的な出会いの始まりでした。

カメハメハ大王との出会い──礼節と贈り物の外交術

ホノルル港に帆船が並ぶ中、ルイ・ショリスがついに足を踏み入れたのは、統一を成し遂げたばかりのハワイ王国の中心でした。そこには鮮やかな羽根マントをまとい、威厳を湛えた男がいました。彼こそがカメハメハ大王。鋭いまなざしと堂々たる体格は、周囲の空気を一変させるほどの存在感を放っていたといいます。

このとき、カメハメハは外国の探検隊を丁重に迎え入れます。ルーリク号探検隊からは銃や工具、色鮮やかな布などが贈られ、代わりにカメハメハは大量の食料や果物、カパ布などを惜しみなく与えたという記録が残っています。探検隊の公式画家ショリスは、そんな礼節と気前の良さに深く感銘を受けました。

彼はこう書き残しています。「カメハメハは非常に礼儀正しく、贈り物を惜しみなくくれた。」異国から来た若き画家は、その威厳と人柄に魅せられ、真剣な眼差しで王の姿をスケッチし始めたのです。この出会いこそが、後世に伝わる唯一のカメハメハ大王の肖像画を生む瞬間でした。

後世へ伝わる大王の姿──唯一の肖像画の誕生

ルイ・ショリスは、カメハメハ大王を目の前にして細部まで観察し、その姿をスケッチ帳に描きとめました。真紅や黄色の羽根マント、精悍な顔つき、堂々とした立ち姿。その筆致は、ただの写生ではなく、大王の威厳や統治者としての風格までも表現していたといわれます。

当時はまだ写真という技術が存在しませんでした。だからこそ、この一枚のスケッチは、カメハメハ1世を実際に見た人の目を通した、唯一の記録となりました。その後、このスケッチはヨーロッパへと渡り、版画や彩色リトグラフとして世に広まります。特に、ルイ・ショリスの元絵をもとに作られた彩色版は、現在も「カメハメハ大王の肖像」として世界中で知られています。

今もハワイ州議会ビルや博物館などで見かけるあの大王の肖像画は、若き画家がハワイの空の下で描いた、たった一度の出会いの証なのです。それは単なる絵ではなく、王国と世界をつないだ一人の芸術家の大きな足跡であり、ハワイ王国の歴史を後世に伝えるかけがえのない遺産です。

歴史をつなぐ一枚の肖像──王の威厳と人間らしさ

ハワイを統一し、近代への扉を開いたカメハメハ大王。その顔を、私たちが今こうして知ることができるのは、一人の若き画家ルイ・ショリスのおかげです。彼のスケッチは、大王の威厳や風格だけでなく、礼節と寛大さを備えた人柄まで伝えています。

潮風に満ちたホノルル港、羽根マントをまとった王族の姿、太鼓が鳴り響く神殿。そして、異国からやってきた探検隊と贈り物を交わす王の笑顔。そんな映像が今も目に浮かぶようです。

たった一度の邂逅から生まれた肖像画は、ただの絵を超え、ハワイ王国と世界をつなぐ橋となりました。カメハメハ大王の物語とともに、ルイ・ショリスという名も、これからも歴史の中に生き続けることでしょう。