【歴史⑧】迷いの王子から改革の王へ─カメハメハ3世、若き日の葛藤と決断

目 次

カメハメハ3世の誕生と王子時代

カメハメハ3世、本名カウイケアウリ(Kauikeaouli)は、1813年、カメハメハ大王と王妃ケオプオラニ(Keōpūolani)の間に生まれました。その名は「青空に漂う雲」という意味を持ち、当時の人々にとって神聖な名前とされていました。彼は、兄であるカメハメハ2世(リホリホ)の弟にあたります。
幼いカウイケアウリは、王族として大切に育てられたものの、その周囲の世界は激動の渦中にありました。西洋の船が次々にハワイに訪れ、新しい宗教や物資、そして未知の文化が島々を変えていこうとしていたのです。
まだ少年であったカメハメハ3世にとって、それは好奇心を刺激する一方で、大きな不安をもたらしました。父カメハメハ大王の圧倒的な威光がまだ島を覆う中で、周囲からは「この子は本当に王としてやっていけるのか」という声も囁かれていたと伝わっています。
しかし、彼の心の中にはすでに、ただ父を継ぐだけではない、自分自身の時代を作りたいという微かな想いが芽生えていたのです。

出典:Hawaii State Archives(https://digitalarchives.hawaii.gov/)

若き王子とハワイの揺れる時代

カメハメハ3世、カウイケアウリ(Kauikeaouli)が少年の頃、ハワイはまさに大きなうねりの中にありました。兄のカメハメハ2世(リホリホ)が王位に就いていた時代、西洋の勢力はさらに島々に深く入り込み、交易、宣教師(missionary)、そして新しい宗教が一度に押し寄せてきたのです。
ハワイの人々の心は揺れていました。カプ(kapu)制度が崩れ、伝統の神々への信仰が薄れる中で、新しい信仰と古い掟の狭間で多くの人が苦しんでいたのです。少年カウイケアウリもまた、そんな変わりゆく時代を肌で感じながら成長していきました。
史料には、彼がまだ幼いながらも、西洋人の持つ本や地図に強い興味を示していたと記されています。未知の世界への憧れと同時に、島の人々が見せる不安や戸惑いに心を痛めることもあったと伝わっています。
この頃から、彼の胸の奥には「父や兄のように強い王でありたい」と願う気持ちと、「ハワイをどう導くべきか」という葛藤が静かに育ち始めていたのです。

出典:Hawaii State Archives(https://digitalarchives.hawaii.gov/)

王位継承の混乱と即位

カウイケアウリ(Kauikeaouli)の人生は、兄カメハメハ2世(リホリホ)の突然の死で大きく変わりました。1824年、兄がイギリス・ロンドンで天然痘(smallpox)に倒れたという知らせがハワイに届いたとき、王国中が大きな衝撃と悲しみに包まれました。まだ11歳のカウイケアウリにとって、それは兄を失うだけでなく、自らが王という重責を背負う瞬間でもあったのです。
王位を継ぐと決まったとき、島々では「この若さで国を治められるのか」という声が多く上がりました。周囲の高官たち、特にカアフマヌ(Kaʻahumanu)女摂政が強い影響力を持ち、彼女が事実上の統治を行う形で新たな体制が始まりました。
史料によれば、即位当初のカウイケアウリは、自分の決定がすぐには通らないことに苛立ちを見せることもあったと言われています。しかし同時に、若き王の中には次第に「自分自身の意思で国を導きたい」という強い決意が育ちつつありました。
この時代は、王としての責任と、少年らしさが入り混じる、カメハメハ3世の人間らしさが最も色濃く表れていた時期でもあったのです。

出典:Hawaii State Archives(https://digitalarchives.hawaii.gov/)

宗教と伝統の狭間で揺れる王

王位に就いたカメハメハ3世、カウイケアウリ(Kauikeaouli)は、すぐに大きな問題に直面しました。それが、古来から続くカプ(kapu)制度の廃止によって生じた宗教的混乱でした。兄カメハメハ2世(リホリホ)がカプを廃止したことで、古い神々への信仰が崩れ、人々の心は空白状態になっていました。
そこへ一気に流れ込んできたのが、西洋の宣教師(missionary)たちがもたらしたキリスト教(Christianity)でした。彼らは新たな教えを広めようと熱心に布教を行い、次第にハワイ社会の中枢に影響を及ぼし始めました。
王自身も、信仰の選択を迫られる立場にありました。幼い頃から伝統の神々を崇めてきた王にとって、キリスト教への改宗は決して簡単な決断ではなかったのです。史料には、王が日々の祈りの中で苦悩していた様子が記されています。ハワイの未来のためにどちらを選ぶべきか──その思いは王の胸を激しく揺らしていました。
民の間でも、伝統を守りたい者と、新しい教えを受け入れたい者の対立が深刻化していました。王はその狭間で、自らの信念と国の安定を必死に天秤にかけていたのです。

出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)

若き王が見据えたハワイの未来

カメハメハ3世、カウイケアウリ(Kauikeaouli)は、宗教や伝統の揺れの中で、ただ悩んでばかりいたわけではありませんでした。むしろ若き王の心の奥には、確かに「新しいハワイを築きたい」という強い想いが育ち始めていました。
史料には、彼が西洋の政治制度や法律に深い関心を示していたことが記されています。外国から訪れる人々の話を熱心に聞き、憲法(constitution)という概念にも興味を持つようになっていきました。まだ若い王にとって、それは父や兄とは異なる、自分自身の王としての道を模索する旅の始まりだったのです。
しかし、その想いを現実に移すには、まだ多くの壁がありました。伝統を重んじる人々の反発、外から迫る列強の影、そして自らの若さゆえの未熟さ──すべてを乗り越えなければならなかったのです。
それでも、王は心に誓っていました。ハワイを守り、世界の中で自分たちの国を堂々と立たせるため、自らの時代を切り開いてみせると。
そしてその決意こそが、やがてハワイ王国に大きな変革をもたらす立憲政治への道を開くことになるのです。それは次なる物語、カメハメハ3世の治世と偉大な功績へとつながっていきます。

出典:Hawaii State Archives(https://digitalarchives.hawaii.gov/)

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