【歴史①】カメハメハは一人じゃない!ハワイ王国を導いた歴代8人の王たち

目 次

ハワイ王国を一気にたどる

8人の王と女王の物語をざっくりと

ハワイ王国には、カメハメハ1世からリリウオカラニ女王まで8人の王と女王がいました。それぞれが異なる個性と時代背景を持ち、戦い、法律、文化、そして外交など、さまざまな面でハワイの歴史を形作ってきました。

この記事は、そんな8人をざっと一気にたどるまとめ記事です。詳しいエピソードや人物像については、それぞれ個別の記事でさらに深くご紹介していますので、興味がわいた方はぜひそちらもご覧ください。

出典:Kuykendall, R. S. (1938). The Hawaiian Kingdom Vol. 1-3.

カメハメハ1世

ハワイを一つにした英雄

カメハメハ1世(Kamehameha I)は1758年頃にハワイ島で生まれ、ハワイ諸島を初めて統一した偉大な王です。若いころから武勇に優れ、ヌウアヌ・パリ(Nuʻuanu Pali)の戦いでは崖から敵を追い落とし、オアフ島を征服しました。

統一後は法律「カナワイ・ママラフ」(Kanawai Mamalahoe/折れた櫂の法)を制定し、民衆の安全を守るなど、国の基盤を築きました。彼の功績により、ハワイは初めて一つの王国として世界に認められる存在となったのです。

出典:Hawaii State Archives (2023). Kamehameha I Biography.

カメハメハ2世

伝統を打ち破った若き王

カメハメハ2世(Kamehameha II)は、カメハメハ1世の息子で、本名はリホリホ(Liholiho)です。

若くして王となった彼は、大きな決断を下しました。それが、古代の宗教的ルールであるカプ制度(Kapu System/禁忌制度)の廃止です。これにより男女が一緒に食事できるようになるなど、ハワイ社会は大きく変わりました。

しかし、イギリス訪問の旅の途中で麻疹にかかり、若くしてこの世を去るという、波乱の人生でもありました。

出典:Kuykendall, R. S. (1938). The Hawaiian Kingdom Vol. 1.

カメハメハ3世

憲法をつくった国づくりの王

カメハメハ3世(Kamehameha III)は、カメハメハ2世の弟で、本名はカウイケアオウリ(Kauikeaouli)です。

彼は即位当初は若く、周囲に支えられながら政治を行いましたが、次第に自らの意思で国づくりを進めていきました。1840年にはハワイ王国初の憲法(Constitution)を制定し、法による統治を目指しました。

また、土地制度を大きく変えるグレート・マヘレ(The Great Māhele)を実施し、ハワイ社会を大きく変革した王として知られています。

出典:Hawaii State Archives (2023). Kamehameha III Reforms.

カメハメハ4世

人々の健康を願った王

カメハメハ4世(Kamehameha IV)は、カメハメハ3世の甥にあたる王で、本名はアレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)です。彼は西洋の文化を学びながらも、自国の独立を守るために慎重に外交を進めた賢明な王でした。

妻のエマ王妃(Queen Emma)とともにクイーンズ病院(Queen’s Hospital)を創設し、外国から伝わる疫病に苦しむハワイの人々を助けようと尽力しました。

しかし外交問題や王子の早すぎる死など、私生活では悲しみも多く背負った王でもあります。

出典:Hawaiian Historical Society (2022). Kamehameha IV and Queen Emma.

カメハメハ5世

厳格で改革に挑んだ王

カメハメハ5世(Kamehameha V)は、カメハメハ4世の弟で、本名はロット(Lot)です。彼は強い意志を持ち、王権を強化するため1864年に新しい憲法(Constitution)を制定し、王の権限を高めました。

改革を進めた一方で、健康を害して後継者を定めないまま亡くなり、カメハメハ王家の血筋はここで途絶えることになりました。彼の治世は、ハワイ王国の将来に大きな課題を残すことにもつながったのです。

出典:Hawaii State Archives (2023). The Reign of Kamehameha V.

ルナリロ王

国民に選ばれた人気の王

ルナリロ王(Lunalilo)は、カメハメハ家の血を引きながら、ハワイ史上初めて選挙によって選ばれた王です。

本名はウィリアム・チャールズ・ルナリロ(William Charles Lunalilo)で、「国民の王」(The People’s King)と呼ばれるほど人々から慕われました。

開かれた政治を目指しましたが、即位からわずか1年余りで病に倒れ、短い治世のうちに亡くなってしまいました。彼の死は多くの人々に惜しまれ、王国は再び次のリーダーを選ぶことになります。

出典:Hawaiian Historical Society (2022). King Lunalilo Biography.

カラカウア王

ハワイ文化を取り戻した陽気な王

カラカウア王(Kalākaua)は、ルナリロ王の死後に選挙で選ばれた王で、「メリー・モナーク」(Merry Monarch/陽気な王)の愛称で知られています。彼はフラの復活やハワイ文化の保護に尽力し、ハワイの伝統を取り戻そうとした王でした。

また、世界一周を行った初のハワイ王でもあり、各国との交流を深めようとしましたが、経済的な問題や政治の混乱が彼を悩ませました。

晩年には王権を大幅に制限するベイネット憲法(Bayonet Constitution)を迫られ、苦しい状況の中で世を去りました。

出典:Hawaii State Archives (2023). King Kalākaua’s Reign.

リリウオカラニ女王

最後の女王と失われた王国

リリウオカラニ女王(Liliʻuokalani)は、ハワイ王国最後の君主で、カラカウア王の妹です。

彼女はハワイの人々の権利を守るために憲法を改正しようとしましたが、政治的な緊張が高まり、1893年に王位を追われる形となりました。

王位を失った後も民衆の支えとなり続け、数々のハワイアンソングを作曲しました。その中でも「アロハ・オエ(Aloha ʻOe)」は、今も世界中で愛されています。

彼女の生涯は、ハワイ王国の終焉と、その誇りを伝え続けた女王としての物語でもあります。

出典:Liliʻuokalani, Queen. (1898). Hawaii’s Story by Hawaii’s Queen.

ハワイ王国の物語は今も続く

王たちが残したもの

カメハメハ1世からリリウオカラニ女王まで、ハワイ王国を導いた8人の王と女王は、それぞれの時代に悩み、戦い、ハワイという国を形づくってきました。

彼らの物語は、ただの歴史ではなく、今もハワイの文化や人々の心の中に息づいています。ハワイを訪れるときには、美しい景色だけでなく、こうした王たちの歩みを思い出してみてください。

そして、もしもっと詳しく知りたくなったら、それぞれの王や女王についての個別の記事もぜひご覧ください。

出典:Hawaii Tourism Authority (2024). Hawaii’s Royal Heritage.

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