【歴史㉔】女王の涙と民の誓い─ハワイ併合の裏側で起きたこと
退位の悲しみと女王の決断
1893年、リリウオカラニ女王(Liliʻuokalani)は、ハワイ王国を救うために自ら王座を退きました。
臨時政府(Provisional Government)から銃を突きつけられたわけではなかったものの、女王は民衆の流血を避けるため「一時的に権限を譲る」という声明を発表します。
この瞬間、王国の歴史は大きな転機を迎えたのです。
女王はアメリカ合衆国(United States)の正義を信じ、王政復帰の可能性を模索し続けました。
王宮の中、かつてフラ(Hula)が華やかに舞われた広間も、今は静まり返り、悲しみの空気が漂っていました。
民衆の中には「必ず王国を取り戻す」という誓いを新たにする者もいれば、アメリカとの未来に期待を寄せる者もおり、ハワイは深い分かれ道に立たされていたのです。
出典:Hawaiian Historical Society
女たちが立ち上がったクイーンズ・ペティション
王国を失った民衆は、簡単に運命を受け入れたわけではありませんでした。
中でも強い行動を起こしたのが、ハワイの女性たちです。
1897年、リリウオカラニ女王(Liliʻuokalani)を支持する王党派の女性たちは「クイーンズ・ペティション(Queen’s Petition)」と呼ばれる大規模な署名運動を開始しました。
彼女たちは、村から村へと足を運び、王国を取り戻したいという想いを込めて署名を集めました。
わずか数週間で集まった署名は、21,000筆以上にも及びます。
多くの署名用紙には、フラ(Hula)を守ってきた女性たちの名前も並びました。
フラを通じてハワイの心を知る彼女たちにとって、王国の消滅は文化の死を意味していたのです。
集められた嘆願書は、アメリカ合衆国(United States)の議会に提出されましたが、結局その願いは届かず、ハワイは合衆国に併合される運命へと進んでいきました。
出典:Hawaiian Historical Society
アメリカ本国の決断とニューランズ決議
王国崩壊後、ハワイをめぐる議論はアメリカ合衆国(United States)の議会でも熱を帯びていました。
当初、多くのアメリカ議員たちは「併合には慎重であるべきだ」と考えていました。
しかし、スペインとの戦争(Spanish-American War)が勃発すると、状況が一変します。
ハワイは太平洋を行き交う軍艦の補給基地として、地政学的に欠かせない場所となったのです。
1898年、ニューランズ決議(Newlands Resolution)が提出され、わずかの差で可決されました。
この決議は、ハワイ共和国(Republic of Hawaii)を正式にアメリカ領へと編入するものでした。
一方でハワイの人々の間には「合衆国の繁栄に繋がる未来」を信じる声もあれば、「王国を取り戻せない無念」を抱える人々もいました。
フラ(Hula)を愛する人々は、政治の大波の中でなお「文化を絶やしてはならない」という強い想いを胸に抱き続けていたのです。
出典:Hawaiian Historical Society
併合後も揺るがぬ女王の誇り
1898年、ニューランズ決議(Newlands Resolution)が可決され、ハワイは正式にアメリカ合衆国(United States)の領土となりました。
王国の消滅は多くの人々にとって受け入れがたい現実でしたが、最も深い痛みを抱えたのはリリウオカラニ女王(Liliʻuokalani)自身でした。
併合が決まった後も女王は沈黙せず、祖国と民を守るために行動を続けます。
彼女はアメリカ本土へ渡り、自らの言葉で「王国は武力で奪われたのではない」という真実を伝えようと尽力しました。
また、女王はハワイ語(Hawaiian language)の保存や教育への支援を諦めず、文化を未来へ残すための著作活動も精力的に行います。
彼女が作詞作曲した「アロハ・オエ(Aloha ʻOe)」は、ハワイの人々にとって王国の記憶と誇りを伝える象徴となり続けました。
フラ(Hula)の世界でも、女王の存在は尊敬を集め、今も多くの曲や踊りにその名が刻まれています。
併合という歴史の荒波の中で、リリウオカラニ女王の誇りと優しさは、ハワイの心に静かに息づいているのです。
出典:Hawaiian Historical Society
併合の影と文化復興への芽吹き
ハワイがアメリカ合衆国(United States)の領土となった後、人々の間には複雑な感情が渦巻いていました。
王国を愛した者たちは、「自分たちの文化が消えてしまうのではないか」という深い不安を抱えていました。
しかし、その不安の中から、やがて文化を守ろうとする新たな動きが芽生え始めます。
密かに守り続けられていたフラ(Hula)は、王国を失った民の心を支え、伝統の火を消さない象徴となりました。
王政時代から続くチャント(oli)、メレ(Mele)、そしてハワイ語(Hawaiian language)の詩が、再び語られ始めたのもこの時期です。
女王リリウオカラニ(Liliʻuokalani)の遺志は、民衆の間に「いつか必ず自分たちの文化を取り戻す」という誓いを残しました。
その誓いはやがて、20世紀のフラ復興やハワイ語復興運動へと繋がっていくのです。
次の記事では、ハワイがアメリカの準州となり、どのように新たな時代を歩み始めたのかをご紹介します。
出典:Hawaiian Historical Society