【歴史⑯】メリー・モナークの夢─カラカウア王とフラ復活の物語

目 次

「メリー・モナーク」の愛称を持つ王の素顔

カラカウア王(Kalākaua)は、ハワイ王国の中でも特に陽気で人々を惹きつける王様でした。
彼は音楽や詩、そして宴(banquet)を愛し、王宮ではしばしば歌や踊りが披露されました。
そんな彼は「メリー・モナーク(Merrie Monarch)」という愛称で呼ばれました。これは「陽気な王様」という意味です。
王は、ただにぎやかで派手なだけではありませんでした。
心の奥には、外国の影響で失われつつあったハワイの伝統を取り戻したいという強い想いがありました。
フラや古い歌、儀式は、王にとってハワイそのものだったのです。
王宮を訪れた人々は、王の優しい笑顔と、時折見せる真剣なまなざしに、ハワイ王国の未来への情熱を感じたと伝えられています。

出典:Hawaiian Historical Society

フラを甦らせた王──カラカウアの熱い想い

カラカウア王(Kalākaua)は、王に即位するとすぐにハワイの伝統文化を復活させたいと考えました。
その中でも最も王が力を注いだのが、フラ(Hula)の復活です。
宣教師たちの影響で、フラは長い間「不道徳」とされ、公式の場から姿を消していました。
しかしカラカウア王は、「フラはハワイの心そのもの」だと信じていました。
王はこう語ったと伝えられています。
“Hula is the language of the heart, and therefore the heartbeat of the Hawaiian people.”(フラは心の言葉であり、ハワイの人々の鼓動そのものである)
王宮では再びフラが踊られ、儀式や祝賀の場にフラが戻ってきました。
民衆の間にもフラを誇りに思う気持ちが蘇り、ハワイの人々は自分たちの文化を取り戻したと感じたのです。
こうしてカラカウア王は「文化を取り戻した王」として人々の記憶に刻まれることになりました。

出典:Hawaiian Historical Society

世界を旅した王──カラカウアの大旅行

カラカウア王(Kalākaua)は、ハワイ王国の王として初めて世界一周の旅に出た人物です。
1881年、王はハワイの未来を考え、国際的なつながりを強めるために旅に出発しました。
訪れたのはアメリカ合衆国(United States)、ヨーロッパ諸国、アジア各国などで、各国の王室や元首たちと会談を重ねました。
この旅の中で、王はハワイへの移民政策の可能性を探り、さまざまな文化や技術に触れたと言われています。
また、旅先では王が詩を詠み、人々と笑顔で交流する姿が多く伝えられ、ハワイの国王としての存在感を世界に示しました。
この世界一周はハワイ王国の外交史に残る大きな出来事であり、カラカウア王の「世界に開かれたハワイ」という夢を象徴しています。

出典:Hawaiian Historical Society

近代化を進めた王──電話、電灯、文明の波

カラカウア王(Kalākaua)は、ハワイ王国を世界に誇れる国にしたいという強い夢を持っていました。
その夢の一つが、王宮や町に近代的な技術を取り入れることでした。
王はイオラニ宮殿(ʻIolani Palace)に電灯(electric light)を灯し、電話(telephone)の設備を導入しました。
この宮殿はアメリカ本土のホワイトハウスより早く電気を使い始めたとも言われています。
こうした技術はハワイの人々を驚かせ、王国に進歩の息吹をもたらしました。
しかし、その一方でこれらの近代化には多くの費用がかかり、国の財政を圧迫する問題も生まれました。
華やかな光の裏には、国を支える人々の不安が少しずつ広がり始めていたのです。

出典:Hawaiian Historical Society

華やかさの影に潜む波乱──次なる試練へ

カラカウア王(Kalākaua)の治世は、フラの復活や王宮の華やかさで彩られ、多くの人々に夢を与えました。
しかし、そのきらびやかな表舞台の裏では、財政の不安や政治の対立が少しずつ大きくなっていました。
外国の勢力がハワイの政治に深く関わるようになり、王の権威を揺るがす出来事が迫っていたのです。
次の記事では、王の晩年に訪れるベイオネット憲法(Bayonet Constitution)の衝撃、そしてカラカウア王が迎える運命の最期について詳しくお伝えします。
華やかなメリー・モナークの時代は、波乱の幕開けでもあったのです。

出典:Hawaiian Historical Society

MENU