【歴史⑩】英国を見た王子─カメハメハ4世、夢と愛のはじまり
カメハメハ4世の誕生と幼少期
王家の血と新しい時代の予感
カメハメハ4世、本名アレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)は、1834年、ホノルルで誕生しました。彼の父は高貴なアリイ(aliʻi=貴族)のケクアナオア(Kekuanaōʻa)、母はカメハメハ3世の妹であるキナウ(Kinau)でした。つまり彼はカメハメハ3世の息子ではなく、甥にあたる血筋です。カメハメハ大王から見れば、孫にあたります。
生まれながらにして王家の血を受け継いだアレクサンダー・リホリホは、周囲から将来の王として期待を集めました。史料には、彼が幼い頃から非常に聡明で、ハワイ語だけでなく英語もすぐに覚え、西洋の文化や言葉に強い興味を持っていたと記されています。
しかし、彼の育った時代は平穏ではありませんでした。西洋の影がハワイに一層色濃く差し込み、王族内部でも新しい時代をどう受け止めるかで意見が割れていました。伝統を守ろうとする者と、新しい風を受け入れようとする者──その狭間で育ったアレクサンダー・リホリホの幼少期は、ただの王子としての安穏ではなかったのです。
その瞳には、遠い国の空を見つめるような光が宿っていたと伝わっています。やがて彼自身が、ハワイ王国を揺るがすほどの変革を担う運命にあるとも知らずに。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)
英国への旅と若き王子の目覚め
遠い国で見た希望と不安
アレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)はまだ十代の頃、叔父であるカメハメハ3世の命を受けて、英国とフランスへ旅立つことになりました。ハワイ王国を独立国家として世界に認めさせるため、王族自身が西洋を知ることが必要だと考えられたのです。
この旅はハワイの王族にとって初めての本格的な西洋体験であり、アレクサンダー・リホリホに強烈な印象を残しました。イギリスのロンドンでは、石造りの建物や整然とした街並み、礼儀正しい人々、そして荘厳な王室行事が彼の目を釘付けにしました。一方で、西洋列強が植民地支配を拡大する現実を目の当たりにし、ハワイもいつかその渦に呑まれてしまうのではという恐れも抱くようになったのです。
史料には、リホリホが「ハワイを守るためには、西洋の知識と同時に自分たちの誇りを忘れてはならない」と語ったと記されています。遠い国の空の下で、若き王子は、ただの旅では終わらない使命を胸に刻んでいったのです。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)
カメハメハ4世とエマ王妃との出会い
王室を揺らした愛の物語
アレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)が英国から帰国した後、彼の運命を大きく変える女性との出会いが待っていました。それがエマ・ナオエレ・ルーカー(Emma Naʻea Rooke)、後のエマ王妃(Queen Emma)です。エマはイギリス系とハワイ王族の血を引く美しく知的な女性で、その優雅さと教養は多くの人々を魅了しました。
二人が出会ったのは王族の集まりとも、教会とも伝わっていますが、どの記録にも共通しているのは、互いに強く惹かれ合ったということです。史料によれば、リホリホは「彼女と共に未来のハワイを作りたい」と語ったと言われています。
しかしこの恋は、決して順風満帆ではありませんでした。王家の血筋や政治的思惑が二人の仲を複雑にし、結婚に対する賛否が王宮内で渦巻いたのです。それでも二人は想いを貫き、やがて結婚を果たしました。この結婚は、王室に新たな風を吹き込み、国民にも大きな希望をもたらす出来事となりました。
アレクサンダー・リホリホにとって、エマ王妃はただの妃ではなく、未来のハワイを共に築く「同志」であり、心の支えだったのです。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)
王子としての葛藤と新たな決意
若き王族が抱えた国と愛のはざま
エマ王妃(Queen Emma)との結婚を果たしたアレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)は、幸せの絶頂にあるように見えました。しかし、王子としての日々は決して穏やかではありませんでした。
帰国後、西洋の文化や政治に感銘を受けた彼は、ハワイを守るために国を変えたいと願うようになります。しかし同時に、西洋化への急激な変化がハワイの伝統や人々の心を壊してしまうのではないかという恐れにも悩まされていました。
エマ王妃との結婚は、王宮内で祝福もあれば反発もありました。王家の血筋の問題、政治的な駆け引き、そして民の間に流れる微妙な空気──全てがアレクサンダー・リホリホに重くのしかかります。
史料によると、彼は「ハワイを守りたい。しかし西洋を拒むことはできない」という言葉を残しています。その心には、国の未来と愛する者を守りたいという二つの想いが激しくせめぎ合っていたのです。
やがて彼は一つの結論にたどり着きます。「王として、自分自身が時代を切り開かなければならない。」 その決意が、後のカメハメハ4世としての行動へとつながっていくのです。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)
王位継承を前にした決意
若き王が見据えたハワイの未来
アレクサンダー・リホリホ(Alexander Liholiho)の心は、日々複雑さを増していました。叔父であり、師であったカメハメハ3世が体調を崩す中、次期王位継承者としての重圧が彼にのしかかっていたのです。
彼が見てきた西洋の世界は華やかでありながらも、弱い国を呑み込んでいく恐ろしさを孕んでいました。ハワイ王国を守り抜くためには、王として強い意志と知恵が必要だと彼は痛感していました。
史料には、彼が「王はただの飾りではいけない。民を守り、未来を作る者でなくてはならない」と語ったと伝えられています。王子としての葛藤を超え、彼は「自分こそが変革の旗を掲げる王になる」という決意を固めていきました。
そして1854年、カメハメハ3世の崩御という大きな転機が訪れます。まだ20歳の若き王子アレクサンダー・リホリホは、ハワイ王国第4代国王カメハメハ4世として新たな時代の扉を開くことになるのです。
彼の心には、一つの想いがありました。「この国の未来は、自分自身が切り拓くしかない。」 その決意が、これからの波乱の治世へと彼を導いていきます。次回は、カメハメハ4世が挑む近代ハワイ王国の大改革と、愛する人と共に歩む苦難の物語へと続きます。
出典:Hawaiian Historical Society(https://www.hawaiianhistory.org/)